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憲ちゃんさん (916yi57s)2024/10/26 11:07 (No.1310938)削除
先日自動車免許更新をしました。高校を卒業と同時に免許を取得してもう60何年かになりました。今回が最後の更新になると思います。80才をこえ今日まで無事、無事故にすごせたことに感謝です。
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カムさん (8x4aeqj2)2024/10/18 16:26 (No.1304906)削除
サムライロードだって❗️
馬篭宿から妻籠宿までの旧中仙道を、日本に来る外人観光客さんには人気の様です。
この間を歩いて何処かで一杯やりませんか。ナモ爺とカム爺の中仙道ヨロヨロ歩きもボツボツ終末です。
途中一泊でも叶わないでは無いと思いますがどうでしょうか。
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カムさん (8x4aeqj2)2024/10/16 20:03 (No.1303427)削除
訂正 お詫び
村山守人先生と打ったつもりが内山守人先生になっていました。村山先生御免なさい。
平成10年12月 会社の同僚であった三年上級の手塚さんから、先生のご訃報をお聞きして、当時深志高校のすぐそばにあった先生のお宅を訪ね、お悔やみを申し上げました。
奥様から先生のご最後をお聞きしました。夜お手洗いに立たれるおつもりだったのか、立ち上がってすぐにどっと倒れて、そのまま逝去れてしまったそうです。
姉も先生から教えていただいたためか、くそまじめな姉とひき比べ、怠け者の私に 先生曰く「上村井 人間は百二十、百三十歳も生きられねえだぞ」と人生には限りがあることを諭して頂きました。ついに最後までご期待に添えず、不肖の教え子でした。重ね重ね申し訳ありませんでした。
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カムさん (943ghghl)2024/10/16 12:06 (No.1302993)削除
窪田武夫君は高校の同期でした。寿美子さんと同じクラスではなかったかな。学部は違いますが大学も一緒です。彼は法学部、当方文学部。
芳川公民館の空穂記念館で研修の折、小屋公民館前に建てられた「鉦鳴らし 信濃の国を行き行かば ありしながらの母見るらんか」の建立に和田村窪田家の同意・承諾無く無断で建てられた。と苦情を言われました。
調べてみると松本城山にある窪田空穂先生の歌碑を拓本で取って、作ってしまったようです。苦情も当然で、ひたすら地域代表として謝らざるを得ませんでした。
大学一年の時に空穂先生御長男の章一郎教授の退官記念講議を受講した覚えがあります。

若山喜志子歌集「筑摩野」(喜志子さんはツクマノといっていた)にりんどうの花が歌い込まれている事が、筑摩野中学校の名称・校章の決定に関係していないかと疑問を持ちました。
 というのは、筑摩野中学校初代校長小沢忠夫先生、寿村に芳川村との組合立中学校建設を呼びかけた「30代の青年村」長 百瀬斉(わたる)氏も共に文学に造詣の深い方々だっ
 た と聞き及んでいた所為です。
芳川村報、芳川公民館報、筑摩野中学校三十年誌、四十年誌、五十年誌などをを調べて見ました。
 昭和25年2.7 校名の決定
      校名を一般から募集したところが、応募者340人、応募校名数は118校の多きにのぼり、中に「村井中学校」の応募者が多かったが、審査の結果「筑摩野中学校」と決
      定した。その当選者は6氏であった。
      内山義忠、青柳正勝、百瀬好次、百瀬泰、上条伝一郎、藤沢貴男
 昭和25年4.1 筑摩野中学校開校式・入学式(於 寿小学校体育館)
 昭和25年4.4 小沢忠夫校長着任
    4.18 第二期工事(南校舎)上棟式
    7.20 校章・バッチ完成-全員配布
    ※当選者筆頭の内山義忠という名前は筑摩野中学校昭和25年度の職員名簿に内山守人先生とともに見えます。
     また4番目の百瀬泰という名前は筑摩野中学校開校一年前に昭和24年度芳川中学校卒業生の中に見えますし百瀬斉村長のご子息も同じ名前でした。
     小沢先生の着任4月より前の2月7日に校名決定と記述されていますから校名審査の場に百瀬村長、小沢先生がいらしたのかどうか今となっては知る術もありません。
 なんかに匂うようなそうでもないような気がしますが、小生は 喜志子-筑摩野-リンドウ-筑摩野中学校に執着したいところです。
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ヨ-ちゃんさん (8ehkply3)2024/10/16 07:19 (No.1302825)削除
カムさんは本当にご多忙なんですね。私も先日姉宅を尋ねる為村井駅を利用しました。その時はまだ完全ではありませんでした。
 若山喜志子の碑が村井駅の近くに在あったんですね。私は広丘かな…と。
どんなになったか今度行く機会に是非拝見したいです。
当時、辺りに沢山の歌人が居たんですね。太田瑞穂、島木赤彦、職場に窪田空穂の孫に当たる人居ましたよ。
 行く山川越え去り行かば寂しさの絶えなん国ぞ今日も旅行く
ただ、詩のイメージとは違う若山牧水の風貌…浮かんでしまいました。😅
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カムさん (8x4aeqj2)2024/10/16 05:21 (No.1302787)削除
ワクワクと迎えたはずの秋でしたが、新駅舎オープンを10月26日に控えて、建物以外の周辺整備で混乱し、歌碑の周りに植える植栽をどうするかで関係窓口や造園屋さんへ幾度も足を運ばなくてはいけなくなり、思うに任せないモヤモヤの季節になってしまいました。
白樺峠のタカ見物は16日になんとか十数羽のタカが見れて、タマゴダケ数本、リコボウ少々の収穫でした。最盛期にもう二、三度足を運びたいと思いを残しながら帰って来ました。

歌碑は 故郷の信濃を遠み 秋草のリンドウの花も摘むによしなし 喜志子

「白鳥は悲しからずや 」の歌で知られる 若山牧水夫人のものです。
村井の隣村 吉田村の生まれで、村井小学校へも通われたご縁で、女史の還暦を機に地元の弟子や有志が建立したものです。
この碑の周辺の植栽をどうするかの検討が不十分なまま、市に工事中の一時預かりを御願いをしてしまったための混乱でしたが、年かさを理由に事態の収拾に当たらねばならなくなりました。
当地に住んでいる歴史の深さ浅さによっても、住んでいる地区の違いによっても、歌碑に対する想い入れの強弱もあり、議論百出で実に大変な調整でした。
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ヨ-ちゃんさん (8ehkply3)2024/9/24 09:32 (No.1278551)削除
この二、三日で気候がガラリと変わり朝晩は肌寒く感じます。秋が来ないではないかと心配しましたがホッとしました。この異常な暑さの中、彼岸花この時期には芽を出さないのでは…と。
心配ご無用あっと言う間に芽を出し、お彼岸に間に合う様に朱色の花、
見事に咲きました。
 先日友達に誘われて「キングダム、大将軍の帰還」観てきました。
既に映画4作目、原作のコミックも前作3作品も観ていないので事前に少し勉強(?)していきました。この頃漫画を原作にした映画多いですね。大体漫画とアニメの違いも知りませんでした。漫画は静止画、アニメな動く画像だそうです。ただ「キングダム大将軍の帰還」はそのスケールの大きさにビックリ、又この作の主人公とも言える「王騎将軍」に魅了されました。
日本の映画もこんな大作が出来るんだと感心しました。
彼岸花
王騎
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みぃちゃんさん (8js23pn4)2024/9/20 18:05 (No.1273885)削除
秋とは名ばかりの日々ですが、先程 注文していた信州の「ナイアガラ葡萄」が届き「小さい秋見つけた!!」気分です✨ 皆にお裾分けし一粒口へ…とても甘く最高で〜す!! その昔、高校の部活動の帰り道、自転車通学で通る「オタガサマの秋祭り!?」にナイアガラの甘い匂いが空腹に染みたのを思い出します(笑)
 大谷選手、一気に駆け抜けましたね!! 一試合でホームラン3本、10打点、2盗塁…前人未到の金字塔を打ち立てました(^_^) 人間的にも素晴らしく三拍子も四拍子も揃った選手である事に感心するばかりです。 この先も目が離せません(笑)
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N
namoさん (8e9s55hy)2024/9/18 15:14 (No.1271445)削除
中山道六十九次道中報告
長いことご無沙汰して、どこか途中で行倒れたかと、心配されそうですので、その後を報告いたします。
  Namo爺
 9月2日に京都三条大橋に到着しました。日本中、猛暑の続いた時期で暑さには苦労しました。京の都でのんびりする余裕もなくその日に自宅に向かい引き返しました。今度は300㎞強の道中になります。年内には何とか帰りたいと思いますが、ちょときつい道のりになりそうで無理かも。現地点
は琵琶湖の中間東方の66愛知川宿(えちがわ)です。
  Kamu爺
 7月28日京都三条大橋にに到着し、折り返して自宅へ向かっています。今日時点、58垂井宿(関ケ原の東、京から100㎞)です。熱中症の心配もしなくてよくなってきましたので幾分楽になりました。もうひと頑張りすれば木曽路に入ります。ゴールが見えてきます。
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カムさん (8x4aeqj2)2024/9/2 20:52 (No.1256814)削除
待望の9月
奈川の白樺峠に鷲/鷹/隼が集まってインドネシア、フィリピンに帰る 南帰行というのかな がぼつぼつ始まります。
だいたい 9月中旬から10月初旬が最盛期ですが、天候の加減もあって 空一面にごま塩を撒いたように飛ぶ日もあれば半日いて一二羽ということもあり、あたりはずれは天に任せるしかありませんが、二十年近くほぼ毎年複数回足を運んでいます。
最近はすっかり有名スポットになってしまい、全国から観察者が殺到していますが 欠かせない秋の楽しみの一つです。

村井駅がほぼ改築され、来月初めには東西通路が開通し、その駅ビルに松本市図書館の取次と小規模な図書コーナーができることになりそうです。
その場所に村井駅開業記念の古写真を飾ろうと、芳川公民館時代の職場の仲間 F女史から相談されて、賛成していたところ 今日思いもかけず彼女からお礼だと言って 松茸をわざわざ届けていただきました。
不思議な人で 助手席で車を止めろと言われて車を止めると何の変哲も無いカーブ道路脇にアミタケの群落があったり、キノコ狩りの途中休憩で数人が座ろうとした場所の彼女が座ろうとした全くの反対側に、地中に生えたまつたけの地面の盛り上がりを見つけたりすることがありました。
今日もいただいた紙包みの中に3センチほどの松茸が五つ入っていました。
いわゆるツボミという地上に出現する前のまつたけです。
かつて同行した白樺峠で、鳥の飛ばない時間 林の中でオオツガタケというキノコを教えて貰ったこともあります。
ワクワクの九月到来。
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